› 沖縄の空から降ル言葉 › 2015年03月
2015年03月11日
3.11
あの日、
究極の出来事が起きると
究極の感情が湧いてくるんだな・・・
ということを感じました
なぜか子供時代の家族団らんの夏の風景が
私には浮かんできました
少し不思議な感覚でした
そして急須にお湯を注ぎ、器に温かい一杯のお茶を淹れられることが
どれだけ幸せなことか、が分かりました。
今年、モンブランが奇跡の一本松の木を使って万年筆を作ったそうです
あの松の木が人々に与えたものは、どれだけ大きかっただろう
凛としたあの立ち姿に励まされたのは、被災された方だけではなかったはず
万年筆に、刻まれています。
「RIKUZENTAKATA03/11/2011」
究極の出来事が起きると
究極の感情が湧いてくるんだな・・・
ということを感じました
なぜか子供時代の家族団らんの夏の風景が
私には浮かんできました
少し不思議な感覚でした
そして急須にお湯を注ぎ、器に温かい一杯のお茶を淹れられることが
どれだけ幸せなことか、が分かりました。
今年、モンブランが奇跡の一本松の木を使って万年筆を作ったそうです
あの松の木が人々に与えたものは、どれだけ大きかっただろう
凛としたあの立ち姿に励まされたのは、被災された方だけではなかったはず
万年筆に、刻まれています。
「RIKUZENTAKATA03/11/2011」
Posted by Tree at
00:01
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2015年03月08日
最近、思ったこと
最近、思ったのは
わたしたちの意識していない別の次元で
運命の時計の針は、良くも悪くも動いているような気がする、
ということ。
それと
今、側にいる人や、側にいなくても大切だと思っている人は
自分で感じている以上に、
とても大切な存在で、その絆には神秘性がある、
ということです。
わたしたちの意識していない別の次元で
運命の時計の針は、良くも悪くも動いているような気がする、
ということ。
それと
今、側にいる人や、側にいなくても大切だと思っている人は
自分で感じている以上に、
とても大切な存在で、その絆には神秘性がある、
ということです。
Posted by Tree at
17:43
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